魅力ある国の旅情報

旅は人生なり

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2010.08.30  ニューカレドニアで見つけた癒しのパワースポット シダの公園

 

シダの公園 

世界一大きい『ノツー』と呼ばれる大帝鳩(大みかど鳩)の『ボゥ―、ボゥー』と歓迎を受け、海抜531kmの展望台に到着した。世界で唯一、道具を使う鳥ニューカレドニアカラスも固有種で『クァー、クァー』とどこかで鳴いている。

大きな声で美しく鳴くのは、可愛い小さな鳥だった。

南太平洋・ニューカレドニアの南州に位置するFarino(ファリノ)の近くにシダの公園がある。

森林浴にも最適の場所である。蚊に刺されるのは『ご免』と蚊よけのスプレー、電気・・・を持っていくも不要。虫もいないし、蚊もいない。聞いていると彼らにとって必要な食べ物がないからだと言う。

  

「ボンジュール!サバ?」子供たちと出会う。ニューカレドニアの人々は出会うと必ず、声を掛け合い、「有難う。メルシー」の声も飛び交う。森林浴をしながらのプチ・ハイキングの魅力でもある。

シダには背の高さレベルや這うようなシダもあり、見上げなければならないシダもある。お化けゼンマイも珍しい。真っ黒いゼンマイも大きく て、珍しいが食べるというイメージとはほど遠い。椰子の木も私たちが通常イメージする幹ではなく、大きな竹のような幹がある、これもニューカレドニアの固有種である。

古来より生活の知恵として、メラネシア人が糊に使っていると言う大きな葉をもつこの木もある。

シダの公園入り口受付事務所(Col Quano 海抜445m)から展望台までの3・6km、ゆっくり歩いて,一時間少々のプチ・ハイキングは老いも、若きも、子供にも可能な、ゆったりとした森林浴の時間であり、ニューカレドニアの固有種に触れる、『私にも出来るハイキング』だった。改めて、ニューカレドニアにはこれほど多くの固有種がある事にさわやかで感動の一時間だったと言える。アルファインターナショナルの申し込めば、オプションで組み立てて貰えます

 

2010.08.02  豪華列車 マハラジャ・エクスプレスに乗ってきました。

 壮大なるインドの歴史と文化に出会える旅、それがマハラジャ・エクスプレスでした。
それは、世界各国の方々とと出逢えた社交界でもありました。
華麗なる1週間は、こんな風に始まりました。

2010.03.05  ヒルトン イルフシに行ってきました。

今回のモルジブ旅行では、幾重にもお世話になり
有難うございました。
 
1992年がはじめてのモルジブで1995年、2002年
についで4回目でしたが、高級リゾートと島に近い珊瑚
のリーフが共存している島でとてもすばらしかったです。
 
 

2009.11.25  モルディブリゾート新スタッフご紹介

弊社が総代理店をさせて頂いております下記のリゾートに、新しい弊社日本人スタッフが着任

(近日着任予定含む)となりましたのでご紹介させていただきます。

ホテル名: ヒルトン モルディブ イルフシ リゾート&スパ

吉田 愛(ヨシダ アイ) MS

10月29日より着任


 

ホテル名: ビーチハウス モルディブ、 ザ ウォルドルフ アストリア コレクション

桜庭 望(サクラバ ノゾミ) MS

11月2日より着任


 

ホテル名: コンラッド モルディブ ランガリアイランド

愛須麻美(アイス マミ) MS

11月19日より着任予定

今後リゾートでの日本人のお客様はこちらのスタッフが対応させて頂きます。

お客様によりよいサービスをご提供できる様、ホテル・弊社一丸となって努めてまいります。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

2008.09.17  インド大都市の拡大

インド経済短信によると、インドの人口100万人以上の都市は1991年当時の国勢調査では23都市だったところ、10年後の2001年の国勢調査では35都市に拡大したそうです。

2008.09.10  第7代 モルディブイメージガール

9月8日に都内某所でモルディブ観光省主催の下、今年で7回目になるモルディブイメージガールコンテスト が開催されました。

2008.07.08  ***ドバイ:ニューホテル&注目エリア***

日々、止まることなく進化を続けるドバイは現在も様々なプロジェクトが進行中です。 最近オープンしたばかりの日本でもお馴染みのニューホテルとビーチエリア、シティエリアに次ぐニューエリアとホテルをご紹介。

2007.12.21  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

コンスタンチヌス帝が変更

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

サンタクロースはトルコ生まれの聖ニコラの伝説がもとになったという話を以前しました。今回の話題は5日後に迫ったクリスマスです。
クリスマスはキリストの誕生日とされていますが、

2007.12.14  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

モデルはトルコ生まれの神父

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。
街にクリスマスソングが流れ、心浮き立つ季節ですね。
子供たちは、サンタさんがどんなプレゼントを持ってきてくれるかと心待ちにします。
さて、赤い服を着てトナカイが引くそりに乗ってやってくるサンタクロースは、
どこの生まれでしょうか。
大半の人は寒い北欧の国を想像するのではないですか。
ところがサンタクロースはトルコで生まれたのです。
紀元3世紀、聖ニコラは地中海沿いの小さな町ミラに生まれました。
聖と呼ばれるように神父さんでした。
子供が大好きで優しさにあふれ、特に両親のいない子供たちを助けていました。
あるトキ・・・・

2007.12.07  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

七面鳥の英語名、トルコ人には違和感

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

街にクリスマスソングが流れ、華やかなイルミネーションが輝く季節になりましたね。気ぜわしいけれども心は浮き立ちます。
この季節に受難を迎える鳥といえば・・・。


2007.11.30  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

メーカー数百社、地方ごとに特色

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。
ワインはご存知のようにブドウからできます。そのブドウの原産地はトルコ東部のアララット山のあたり。
ということは、ワインの発祥地も

2007.11.23  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

各国のマーチングバンドの原型に

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)

コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

作家の向田邦子さんが台湾での飛行機事故で逝ったのは25年前の8月22日でした。まだ51歳。いまも健在ならどれほど多くの優れた作品を生み出していたかと残念でなりません。その向田さんのドラマの中の1本、「阿修羅のごとく」はみなさんご存知でしょうか。これからお話するのは向田ドラマとトルコの関係、といっても

2007.11.16  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

有名な「王様の耳はロバの耳」

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。「王様の耳はロバの耳」の話はよく知られていますね。ふたりの神様、パンとアポロンが音楽のことでけんかをしています。パンは笛、アポロンはハープの名手。どちらも自分が一番と言って譲りません。

そこでふたりは王様ミダス帝にどちらが上手か判定を求めます。ミダス帝が軍配を上げたのはパン。怒ったアポロンは

 

2007.11.09  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

新石器時代に5000-1万人が暮らす

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

約1000軒の家に5000人から1万人が暮らした世界最古のまちが、中部アナトリア高原で発掘されました。考古学者の研究によると、まちができたのは紀元前7世紀、いまから9000年前の新石器時代です。チャタルフュユック。それが

2007.11.02  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

日本語とたくさんの共通点

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

私は日本に留学して初めて日本語を学びました。長期間にわたって勉強したのではないのですが、日常会話も仕事上の込み入った話も日本語で用を足せます。友人からも日本人と変わらない発音と褒められます。
トルコ語を勉強した日本人にも、短期間に発音も表現力も素晴らしく上達する方が大勢います。トルコ人にとっての日本語、日本人にとってのトルコ語は互いに

2007.10.26  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

ノアの方舟が着いた陸地

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

ノアの方舟(はこぶね)はよく知られていますね。旧約制聖書創世記に出てくる話ですが、人々の堕落が目に余るようになったとき、神は懲らしめのため大洪水を起こします。
神は大洪水が来るとの予言をノアに伝え、備えるよう言います。その言葉を信じ

2007.10.12  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

エフィソスで余生送る?

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)

コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

キリストが十字架にかけられた後、聖母マリアはどうなったのか、大きな謎でした。聖書にもマリアのその後については記述がないのです。ただ、キリストが迫害を受けたエルサレムの地から安全な場所に移り、余生を送ったことは容易に想像できます。それが、トルコのイズミールの南約70キロにあった

2007.10.05  タヒチを贈ろう

タヒチ観光局で第2回「タヒチを贈ろう。」コンテストが実施されています。

http://www.gift-tahiti.jp/

あなたが、“タヒチを贈りたい”シチュエーションやプランをサイトから入力するだけで応募ができます。

http://www.gift-tahiti.jp/contest/

賞品はタヒチ旅行や航空券!

 タヒチ観光局
http://www.tahiti-tourisme.jp/

2007.10.05  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

イスラム国ながら古く深いつながり

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

ユダヤ人とトルコとは、古くから深いつながりがあります。1492年8月3日、コロンブスがスペインのイザベル女王の支援を受けて米大陸発見の航海に出発したのは歴史で習いますね。その時、コロンブス一行が出向したのは、パロスという小さな港でした。コロンブスが、その小さな港を出発地にしなければならなかったのは、

2007.10.01  モルディブ「HILTON」動画

2007.09.28  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

オスマントルコの栄華示す宮殿

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

映画「日曜はダメよ」で一躍有名になったギリシャの女優メリナ・メルクーリさんの名は覚えていますか。その後、同国文化相を務めたメルク-リさんは、もう亡くなりましたが彼女の映画は時々上映されたり、ビデオになったりしていますね。
そのメルクーリさんは1964年、米映画「トプカプ」に主演しました。トプカプ宮殿から王様の剣を盗み出すストーリーの映画は、

2007.09.21  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

15世紀から続く世界最大の屋根付商店街
メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

イスタンブールを訪れた方なら、グランド・バザールはご存知でしょう。世界で最大規模の屋根付ショッピングモールと

2007.09.14  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

シルクロードの交易発展を支えた建物
メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

シルクロード(絹の道)と聞くと、胸が躍る歴史のロマンを感じますね。NHKで放映した数々の場面が、あの悠久を奏でるテーマ曲とともに思い浮かびます。シルクロードの基点は中国・西安、終点はイスタンブール。絹をはじめ東洋の産物は、

2007.09.07  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

白いシーツまとい埋葬、1年後に大理石の墓

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

以前紹介した結婚式同様、死者を送る葬儀も国によって大きな違いがあります。日本では遺体を荼毘(だび)にします。ところがトルコをはじめイスラムを信仰する国では必ず土葬にします。
イスラムの聖典コーランは、アッラーの神が人間を土から造られ、息を吹き込んだと記しています。土から造られた人を火葬にしたり、ミイラにしたりするのはコーランの教えに反します。イスラム教徒にとって、死後に帰るところは、

2007.08.31  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

豪華列車に乗って高級ホテルへ

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」で有名なオリエント急行の終着駅はイスタンブールのシルケジ駅です。シルケジ駅はオリエント急行乗り入れのために造られました。1889年のことです。
当時、鉄路はイスタンブール旧市街の城壁までしか来ていませんでした。それを金角湾まで伸ばすため城壁を崩し、宮殿の中に鉄路を通したのです。オリエント急行は栄華を誇った

2007.08.24  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

功績を称え、名を冠した病院や学校も

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

1820年イタリアに生まれた英国人フローレンス・ナイチンゲールは、赤十字の生みの親であり、クリミア戦争で負傷した兵士の看護でも名を知られていますね。そのナイチンゲールはトルコにも縁が深いことを知っていましたか。
裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは、哲学や数学など当時の女性としては珍しい高等教育を受けます。そんな彼女が

2007.08.17  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

改革実現、近代国家建国の父

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

今回は近代トルコ建国の父ケマル・アタチュルクの話をしたいと思います。日本の教科書ではケマル・パシャと紹介されているかもしれません。トルコ語でアタは父、チュルクはトルコを意味します。文字通り「トルコの父」。アタチュルクの治績がなければ、

2007.08.10  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

アレクサンドリアでの最後

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。


前回に続きクレオパトラとトルコのかかわりを紹介します
アントニウスとトルコで結婚したクレオパトラはアテネまで新婚旅行に出かけます。その途中、地中海沿いのトルコ各地に立ち寄ります。そうした各地は

2007.08.03  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

アントニウスと南部の街で結婚

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

クレオパトラは、世界の歴史上で最も有名な女性ですね。シーザー、アントニウスというローマ帝国の2人の英雄と結婚したことでも知られています。英雄2人を惑わせたのだから、

2007.07.27  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

シャーベット、ピラフなど多様

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

長かった梅雨が明けてやっと暑い夏がやってきました。こうした季節に欠かせないのは冷菓。なかでもシャーベットは私の大好きなデザート。果物の果汁がシャキシャキと口中で溶け、さわやかな香りが鼻腔(びくう)をはいのぼってくると、思わず笑みがこぼれます。
このシャーベットは

2007.07.20  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

南部が原産地、最古の工場も

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

純植物性で体にもいいオリーブオイル。イタリア料理が日本でも人気を集め、オリーブオイルを口にする機会が増えました。サラダのドレッシングにしたり、パスタにふりかけたり、肉や魚のソテーに使ったりと用途はとても広いですね。オリーブオイルの産地は

2007.07.13  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

黒海沿いの街が発祥地

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

サクランボが果物屋の店頭に出回る季節になりました。サクランボを見ると19世紀パリ・コミューンの頃に作られ、コラ・ボケールが歌って有名になったシャンソン「サクランボの実る頃(ころ)」を思い出します。「サクランボの花咲く季節はあまりに短い」と歌うように、サクランボは、

2007.07.06  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

食事は会話を楽しむ時間

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

今回は料理の話をします。といっても料理の歴史・文化ではなく、今回はトルコ人の食生活がテーマです。
少し前に日本でもスローフードが話題になりました。ファストフードが忙しい人々の生活に根付いたことに対する反省から生まれた考えですね。バランスの取れた健康な食生活を取り戻すには、

2007.06.29  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

遊牧民が発明幅広い用途

 

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。
日本では商品名にもなっているブルガリアヨーグルト。だからヨーグルトはブルガリアが原産国と思っている方も多いのでは。  

2007.06.22  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

田舎では一種の祭り、3日間続く披露宴も

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

結婚が人生最大の華やぎであることは、トルコも日本も同じです。イスタンブールのような都会では、恋愛から結婚へと進むのが一般的で、結婚式もごく簡素に済ます。ところが田舎へ行くと、披露宴が金・土・日曜日の3日間も続く伝統的な結婚式が残っています。地域の人々にとっては一種の祭り。村全体で若い2人の門出を祝うのです。
結婚は、息子に嫁をもらうというのが

2007.06.15  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

柔軟な思考示す1500年前の巨大建造物

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

アヤソフィアは、イスタンブールを訪れる観光客が必ず見学する名所の1つです。天井の高さ56メートル、ドームの直径33メートル、1500年前に立てた巨大な建造物は当時の建築技術の高い水準を示しています。
アヤソフィアは、ギリシャ正教の聖堂からモスリムが礼拝に訪れるモスクへ、

2007.06.08  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

陶器の図柄など生活に根付く

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

多彩な色合いで咲き誇るチューリップ。その原産地はオランダと思われている方が多いと思いますが、実はチューリップはトルコの花なのです。
チューリップの語源はトルコの女性が愛用する



2007.06.01  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

金産出国で誕生、貿易や商業飛躍

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

紀元前797年、現在のトルコ西部にリディアという国が興りました。大量の金を産出する、とても豊かな国でした。羊の皮を川に沈め、その皮にまとわりつく砂金を採っていました
その国の王の名はクレイズス(Croesus)。金がもたらす富で古代世界で最もお金持ちでした。「クレイズスのような金持ち(as rich as Croesus)」。という英語表現が残っているくらいですから、いま資産世界一の

2007.05.25  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

橋とトンネルは日本企業が受注

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。
イスタンブールの人口は約1200万人。その3分の2がヨーロッパ側、3分の1がアジア側に住んでいます。トルコの首都はアンカラですが、人口ではもちろんイスタンブールがトップ。郊外へ郊外へと都市規模が拡大しています。
さて、ボスポラス橋が完成した1973年当時、95年までは人口と車両の増加から見ても端の要領は十分と考えられていました。ところが橋の完成は

2007.05.18  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

アジアとヨーロッパ結ぶ夢の懸け橋

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡に橋を架ける。それは、文字通りアジアとヨーロッパを結ぶ夢の懸け橋です。この難事業は、トルコ人ばかりでなく両大陸に住む人々にとって長年の懸案でした。
まず、歴史を振り返ってみます。約2500年前、ペルシャのダリウス王は大群を率いてヨーロッパに攻め込みます。その時、

2007.05.11  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

アリストテレスがアソスに開設

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)

コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

アリストテレスは、ソクラテス、プラトンと並ぶギリシャの大哲学者ですね。三段論法で有名なアリストテレスは、17歳でアテネに行きプラトンのアカデミア(学校)に入ります。20年間師事したプラトンの死後、






2007.04.27  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

古代世界でトルコ指す「アッスーワ」

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

日本はアジアの東の端に位置していますね。トルコは逆に西の端、一部はヨーロッパにまたがっています。広大なアジアには、多くの国があり、多くの民族が住んでいて固有の歴史があります。では、アジアという言葉はどのように誕生したのか、つまりアジアの起源をたどってみます。
紀元前18世紀ごろに勃興(ぼっこう)したアッシリアのことは歴史で学びますね。チグリス川上流の地に栄えたアッシリアは、古代オリエント世界最初の帝国とされています。アッシリアは前612年の滅ぶのですが、その1000年以上前に帝国の東部地域をASSUWA(アッスーワ)と呼ぶようになりました。
アッシリア語でアッスーワとは、

2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

パシュパティナート(カトマンドゥ)

ガンジスの支流であり、聖なる川とみなされるバグマティ川の川岸にあるパシュパティナートは、ネパール最大のヒンドゥー教寺院であるばかりでなく、インド亜大陸にある4大シヴァ寺院のひとつでもある。
ヒンドゥー教3大神のひとりであるシヴァは破壊神で、バイラヴ、ルドゥラ、マハーデヴなどのさまざまな化身をもつ。獣の王という意味のパシュパティもその化身のひとつ。シヴァはこの森をこよなく愛し、金の角をもつ鹿パシュパティとなってこの地に遊んだ。そのため、この地域一帯は今でも鹿の住みかという意味のムルガスタリと呼ばれている。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

スワヤンブナート(カトマンドゥ)

 町の西郊2km、緑に包まれた丘の頂上に、自いストゥーバが見える。カトマンドゥ盆地がまだ湖だった頃から丘の上に建っていたという伝説をもつ、スワヤンブナート寺院だ。タメル近くのチェトラバティ交差点から西へ、ヴィシュヌマティ川を越えてのんびりと歩きながら丘の上を目指そう。森を抜けて参道の石段を上りきれぱ、ストゥーパの正面に出る。ここには巨大な金剛杵が安置されている。金剛杵とは無明を打ち砕く雷で、真言宗でも使われる密教の法具である。金剛杵に面したストゥーバの側壁に、密教の本尊仏、大日如来(毘廬遮那仏)像が安置されている。大日如来はスワヤンプナートの開基に深いかかわりがあり、それは伝説として、人々の間にこう語り継がれている。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

クマリの館(カトマンドゥ)

ダルバール広場の南側に、小さい窓わくの木彫が見事な建物がある。クマリの館だ。ここに、女神クマリの化身として崇拝される少女が住む。クマリは、家柄正しい幼女たちのなかから選び出され、初潮をみると交代する。その選考にあたっては、知能や学力ではなく、聖性があるかどうかが基準になる。

2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

ハヌマン・ドカ(カトマンドゥ)

ダルバール広場から北へ歩くと、旧王宮の入□前の広場に出る。銃剣を持った衛兵の立つ狭い入口の脇には、赤い布がかぶせられた猿神ハヌマンの像がある。ここがハヌマン門だが、旧王宮とその付近もハヌマン・ドカと呼ぱれている。
門をくぐって中庭ナサル・チョークへ。中庭北側(左側奥)の円形の五重の屋根をもつ建物は、パンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院。1886年以来、シャハ王家はダルバール・マルグの現王宮をその居城としているが、この中庭は、現在でも外国の元首が訪れたときなど国家行事催行に使用されている。


2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

ラズバリ
1895年にラニ・ヘマンタ・クマリ・デビが、義母の功績をたたえて建設したといわれる。
ギリシャ、ローマ風の堂々とした建物で、2階建てながら天井も高く、内庭も広い。人が住んでいるようだが、荒れるにまかせた状態だ。
屋上からは池や寺院群を俯瞰できる。

2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

ドルモンチョ
アーチ型の窓が開いた正方形の箱をピラミッド状に積み重ねたような不思議な形をしたヒンドゥー寺院。 19世紀末に建立された。壁が塗り直されて、現在はマーケットとして活用されている。

2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

シヴァ寺院
1823年に建てられた北インド式パンチャ・ラトナ型のヒンドゥー寺院。他のヒンドゥー寺院の壁のようなテラコッタは用いられず、塗り壁になっている。

2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

ゴバーラ寺院とゴヴィンダ寺院
3つの盛り上がりをみせる屋根のゴバーラ寺院と、とんがり屋根のゴヴィンダ寺院が並んで建っている。どちらも小さな建物だが美しいテラコッタと愛らしいプロポーションをしている。

2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

ゴヴィンダ寺院
1823~1895年にかけて、プティアの王によって建立された。壁面を精緻なレリーフで装飾しだパンチャ・ラトナ型(5つの尖塔)"のヒンドゥー寺院。ゴヴィンダとはヒンドゥーのクリシュノ神の別名である。テラコッタのレリーフには。ヒンドゥー神話や村人の生活なども描かれ、その保存状態がすぱらしい。

2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

バガ・モスジット
ラジシャヒの南東28kni。約930年前にションキブトゥ・ポリチティが建設した。
隣接してパガ・マジャル(聖者廟)がある。モスジットは現在でも使われている。

2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

バハルプール
1985年、世界遺産に登録されたインド亜大陸最大規模の仏教僧院跡がある。8~9世紀にかけて在位したパーラ朝第2代の王ダルマバーラによって建立されたパーラ朝仏教美術を、代表的する僧院遺跡の一つであり、旅行者にとってはバングラデシュ最大の見どころの一つでもある。

2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

カーソン・ホール

現在ダッカ大学の科学部の学舎として使われているが、もともとはタウンホールとしてインド総督カーソンによって建てられた。1904年完成。カーソンは1905年のベンガル分割令など、強硬な政策を執ったことで悪名高いが、小さい頃から東洋に憧れ、インド総督就任も本人たっての望みだったという。ベンガル分割令は、植民地支配の反発がイギリスに向かわないよう、宗教間の対立意識を煽り、ヒンドゥー教徒の多い西ベンガルと、イスラム教徒の多い東ベンガルに分割したもの。実際に、これが1947年のインド分離独立のきっかけになったと言われる。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

チトワン国立公園

ナラヤニ県チトワン郡は中央ネパール南部の、マハーバーラト山脈とチューリヤ丘陵の間に妬けた内タライの一角にある。かつて亜熱帯性の森林に覆われていたチトワンの地も、マラリア撲滅運動の進展とともに開拓による大量の入植や国による定住計画が進められ、肥沃な穀倉地帯に生まれかわった。
先住民のタルー族のほか、山地から移り住んだタマン族やチェトリ族などの住む農家が散在し、四季を通じて水田や畑作物に覆われた色鮮やかな田園風景が広がり、平原の彼方にはマナスルなどヒマラヤの峰々も遠望できる。


2007.04.23  大河の三角州に広がる豊かな大地

スター・モスジット

モザイクタイルの美しいモスジット(モスク)。もともとは典型的なムガール様式のモスジットだった。およそ50年ほど前にモザイク装飾が流行り、地元の商人が寄進して、日本とイギリスのタイルで飾りなおし、東側のベランダを増設した。

2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

サランコット

レイクサイドから行けるヒマラヤの展望台が、フェワ湖の北にある標高1592mの丘サランコット。昼近くになるとヒマラヤに雲がかかることが多いので、朝早く出発したほうがよいだろう。タクシーは頂上の下方、舗装道路が終わる駐車場まで行く。そこからでも絶景だが、さらに30分ほど歩いて展望台まで上ってもいい。


 

2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

国際山岳博物館

登山、地質、動植物、民族、環境などに関する資料が収集されている。日本をはじめ世界中の山岳関係者の協力を得ており、日本のマナスル初登頂やフランスのアンナプルナ初登頂の資料のほか、女性としてエヴェレストに初登頂した田部井淳子さんの装備も展示されている。またチベット探検で有名な川口慧海や、初めてネパール全土調査をしたトニー・ハ-ゲンの資料は貴重だ。地質の標本も充実しており、インド亜大陸の移動による造山運動の結果、ヒマラヤが形成されたことがわかるようになっている。図書館も完備し、ネパールのみならず各国の山岳について知ることができる、ユニークな博物館だ。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

パタレ・チャンゴ

タンセンヘ向かうパス道路を3kmほど走った右側にある。左手にチベット難民村が見えるあたりだ。湖から来る川の水が地中に吸いこまれ、岩壁の大穴から滝となって流れ落ちる奇怪な場所だ。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

ビンドゥバシニ寺院

|日市街中心地の小高い丘の上、森の下の小さな複合寺院。殺戮神ドゥルガー、繁栄神ヴィシュヌ、女性に人気のクリシュナ神を祀る本殿が並んでいるが、本来はドゥルガーが信仰対象だ。境内中央、ドゥルガー像が安置される祠の正面では毎朝、生け賛として鶏やヤギなどが首をはねられる。石畳に
血のりがこびり付いたりしているが、普段は静かな寺だ。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

ブダニールカンタ

ブダニールカンタ村(ブラニルカンタと発音される)は、カトマンドゥから北へ11km、盆地の北をさえぎるシヴァブリ山の麓にある。カトマンドゥのカンティ・パトをどんどん北へ。坂を上り日本大使館前を過ぎ、3kmほど行くと、竹林のある小さな峠(バンスバリ)にいたる。ここからもう少
しでブダニールカンタ村の人口へ。
村へ入るとすぐ、小広場の左側に、ヴィ。シュヌ像のある寺院。四角い池の中に、身のたけ5mもある大きな神像が横たわり、供物の花に飾られている。原初の海に浮かび、聖蛇の上で瞑想するナラヤンとしてのヴィシュヌ神を表したこの像は、7~8世紀の作という見事なもの。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

チャング・ナラヤン

カトマンドゥ盆地東端の丘に、ナラヤン神を祀る古い寺院がある。スワヤンブナートやボダナートなどとともに盆地の主要史跡として世界遺産にも登録されている、由緒ある寺院だ。バクタブルから真っすぐ北へ約6km。小さな門前町の沐浴場や食堂を通りぬけて、石段を上った先が、赤レンガ積みの建物に囲まれた境内地。
寺院の開基は、リッチャヴィ王朝期の323年。時代を重ねるうち境内にさまざまな祠や石像が加えられ、今日ある複合寺院となった。境内中央の本殿は、ヴィシュヌ神の化身であるナラヤン神を本尊とする、ネワール様式の繊細な木彫りで装飾された伽藍。リッチャヴィ時代の建物はカトマンドゥ盆地に侵入したムガル帝国軍に破壊されてしまい、現在あるのは1702年に再建されたものだ。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

タチュパル広場(バクタプル)

このあたりはマッラ王朝初期以前から残る古い町並み。広場中央のダッ
タトラヤは1427年建立。ご本尊のダッタトラヤはブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神が一体になったもの。ブース月(12月中旬~1月中旬)の毎週水曜日の例祭や、2月中旬のシヴァ・ラートリーにはタライ地方やインドからも大勢の人が参拝に来てにぎわいを見せる。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

トウマディー広場(バクタプル)

広場でひときわ目立つのが、18世紀初めに建てられたニャタポラ寺院。
五重の塔をもち、高さ30m。カトマンドゥ盆地にある寺院のなかでは最も高い。正面の石段両側には下から順に、伝説上の戦士・象・獅子・グリフィン・女神の石像が守護神として1対ずつ置かれており、それぞれ下の動物の10倍の力をもつとされている。石段を上ってみれば、広場のにぎわいと、周り
に建つ茶色い家々と緑の野、見上げると青い空が広がる。


2007.04.23  壮大な大自然とそこに住む人々の透き通った瞳

ダルバール広場(カトマンドゥ)

ダルバールというのは、ネパール語で「宮廷」を意味する言葉。3つのマッラ王朝が盆地に独立・君臨した3王国時代には、王宮前の広場としてカトマンドゥ王国の中心部であった。パタン/バクタプルにも同様のダルバール広場があり、それぞれの王が美しさを競いあって造りあげた広場だけあって、どのダルバール広場も見事な装飾が施された宮殿や寺院が建ち並ぶ。
旅行者に「ダルバール・スクエア」と呼ばれる広場に来たら、高い基壇の上に建てられた寺院の縁側に腰をおろして、ぽかぽかと日にあたりながら往来する人々を眺めてみよう。
広場中央のひときわ高い建物は、シヴァ寺院。17世紀末マッラ王朝下にバクタプルの皇太后によって建てられた。ここでのんびりしていると、本当に何時間もすぐに過ぎてしまう。


2007.04.22  大河の三角州に広がる豊かな大地

ヒマラヤの雪を集めた大河が流れる肥沃なデルタ地域は、古くから"黄金のベンガル"と呼ばれる豊かな地域です。初期仏教はこの地で育ち東西に広がりました。東洋人初のノーベル賞を受けた詩人"タゴール"は、ここで生まれ育ちました。世界遺産は3個所、他に世界最長の砂浜、動植物のサンクチュアリなどがあります。71年に独立した若い国、ベンガル語を話す穏やかな人々が暮らす人の親日国です。素朴な旅の原点がここにあります。

2007.04.20  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

仏語ですが故郷はトルコ

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

フランス人の朝食に欠かせないクロワッサン。サクッとした歯ざわりと芳醇(ほうじゅん)なバターの香りは、カフェオレとよく合い、私も大好きです。クロワッサンはフランス語。だからクロワッサンはフランス生まれだと思っている方が多いでしょうね。ところが、

2007.04.13  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

16世紀に宣教師が日本へ紹介

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

イソップは奴隷の子としてトルコに生まれたことを前回紹介しました。では、イソップ寓話(ぐうわ)はどのようにして日本に伝わったのでしょうか。
時は室町時代の最後期、キリスト教ジェズイット派(イエズス会)は日本への布教を目的に宣教師を派遣していました。その宣教師たちが1593年、持ち込んだ印刷機でイソップ寓話を印刷したのが、

2007.04.13  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

マクタール遺跡(マクタール)

フォーラムを中心とする公共の建築群
博物館から、ローマ時代の舗装された馬車道を丘の上まで250mほど上っていくと、左手にトラヤヌスの凱旋門が見えてくる。この凱旋門は、紀元116年にゲルマン人などへの勝利を賛えてトラヤヌス帝に捧げられたもの。その北側にはフォーラムが広がり、北東の角にはマーキュリー神殿とマーケット跡が残っている。
凱旋門から道を挟んだ南側には、5世紀のビザンチン帝国時代に教会に転用されたバシリカがある。円柱やその中央の洗礼所の跡などを今も見ることができる。
ここから未舗装の道を200mほど下ると、2世紀後半に建てられた巨大な共同大浴場がある。これは、カルタゴの共同浴場と並び、チュニジアで最も保存状態の良い浴場のひとつ。内部には円柱、アーチ、床モザイクなどが残っている。


2007.04.13  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

キャピトル(ドゥガ)

古代ローマの都市の中心はやはりフォーラムとそれに隣接するキャピトル。神殿はユピテル(ジュピター)、ユノー(ジュノー)、ミネルヴァの3神を祀るもので、マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスの2人の皇帝に挿げられた。階段を上った神殿前面で、地上から8mの高さの柱廊玄関を支えているのは、6本の縦溝の付いたコリント式の円柱。内部の3つの聖室(壁がん)の中央には、当時6mに及ぶ巨大なジュピター像があった。

 

2007.04.13  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

サハラ砂漠祭り(ドゥーズ)

12月末に砂漠(さばく)でおこなわれるベルベル民族(みんぞく)の伝統的(でんとうてき)なまつりで、けっこんしきのいしょうなどの伝統的(でんとうてき)民族衣装(みんぞくいしょう)をみにつけた人々やキャラバンたいのパレード、らくだレース、野外劇(やがいげき)などのイベントがおこなわれます。

 

2007.04.13  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

タメルザ渓谷

シェビカを出てタメルザに向かう。シェピカまでは真っ平らな道だったのが、ここからいよいよ山という雰囲気になってくる。山道をくねくねと上ると、タメルザの手前にはピュー・ポイントがある。


2007.04.13  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

スフェトゥラ遺跡(スベイラ)

ケロアンの南西約100kmにある、チュニジアに残るいちばん新しいローマ遺跡、大廃墟都市スフェトゥラ(当時の名称)。というのも、7世紀の半ば、ビザンチン帝国(ローマ帝国が東西に分裂してできた東ローマ帝国の別名)によってスフェトゥラの拡張工事がなされてすぐに、ビザンチン軍はイスラム教の布教を目的としたアラプ軍にチュニジアから追い出されたからである。当時のビザンチン帝国のチュニジアでの最高責任者ダレゴアールが、帝国の首 都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)からの独立を宣言し、自らを皇帝と名乗りスフェトゥラに首都を筆いた数か月後のことだった。2万人を越えるアラブ兵がスフェトゥラの市街地を襲撃、ダレゴアールは処刑され、都市は略零しつくされた。チュニジアでのビザンチン時代はこの地で終決し、新たにアラブ時代がはじまったのだった。


2007.04.13  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

チュブルボ遺跡(ザグアーン)

まず、遺跡入口からフォーラム方面へ進んでみよう。
途中左手にあるのが製油所。この遺跡から、当時、円形の大きい石でオリーブをつぶし、浴室のようなプールにオイルを溜めていたことがわかる。
ここを過ぎて、左側にある広場がフォーラム。
市の中心となるオープン・スペースで、その3辺を円柱が囲んでいた。残りの北西の1辺はキャビトル。
168年に建てられたこの神殿は、コンモドゥスとマルクス・アウレリウスの2人の皇帝に捧げられたものだ。2m近い高さにある台座の上には、柱廊玄関を支えた8.5mの大理石の円柱だけが残る。また、神殿中央にあった高さ7.5mのユピテル神像の一部(頭部や足の部分)は、現在バルドー博物館で見ることができる。
フォーラムの北東の1辺には、クリアが面している。これは円柱に囲まれたタウン・ホールで、その反対側には211年に建てられたマーキュリー神殿がある。ここも今では円形に並ぶ8本の円柱の基部しか残っていない。
道を挟んだマーケットは、他の都市のものと同様、広場を囲むようにして3辺に小さな店が並んでいた。
マーケット隣の建物は、発掘されたモザイクからラビンスの家と呼ばれている。マーケットの西側には市民の住居跡が広がるが、ほとんど土台の部分しか残っていない。


2007.04.12  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

クサール

かつてのベルベル人の住居は非常に興味深い。例えば、マトマタ周辺の山肌に多く見られる穴居住宅。最初は敵から身を隠すためで、済む目的で洞窟が掘られたわけではなかった。しかし、短時間身を隠すだけでは済まなくなったとき、穴居住宅が誕生した。岩壁に作られた横穴を抜けると、立方体の中庭があり、さらに周りに高さ6~7mほどの横穴が掘られ、住居として利用されるようになった。
夏は強い太陽をさえぎり、冬は保温にすぐれていた。外側からは非常に見分けにくく、見えても自然の洞窟のようにしか見えなかった。クレーターのように見える穴の側面から横穴を掘り進めるこの穴居住宅は、マトマタのみで見られる特別な構造だ。また、タタウィンの周辺にはゴルファの集合体クサールが多く見られる。ゴルファとは、かつて穀物やオイル、ダットなどのドライフルーツや家畜の餌の乾草などを貯蔵すた倉庫のこと。クサールはその倉庫を何層にも高く造り上げたもので、外敵から身を守るための砦としての役割も果たしていた。クサールはまた、祭りや集会が行われる公共の場所としての役割も果たした、50年ほど前までは、実際に利用されていた。


2007.04.12  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

カルタゴ博物館(カルタゴ)
1890年に建設。アフリカ宣教会の神学校を改造した、白い建物が美しい博物館。チュニスのバルドー博物館には及ばないが、カルタゴからの出土品が充実。ビュルサの丘の頂上にあり、サン・ルイ教会の隣が入口になっている。
館内には英語の説明板もある

2007.04.12  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

アントニヌスの共同浴場(カルタゴ)

海を背景に建てられた広大な公共浴場で、2世紀にローマの五賢帝のひとり、アントニヌス・ビウス(在138~161)により建設された。
当時、建物は2階建てで、更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プール、噴水、談話室、トイレなど100を超える部屋がその2階部分に左右対称に配置されていた。壁にはフレスコ画、柱には彫刻、床には色鮮やかなモザイクが敷きつめられ、それは贅沢な造りだった。また、円柱や床などに使われた大理石は、遠くポン岬のエル・ハワリアなどから運ぱれていたという。


2007.04.12  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

ローマ人の住居(カルタゴ)
ローマ劇場の裏手には、ローマ時代の住宅地跡がある。海へ下る軸線上に整備された家並み、階段状に造られた土台など、当時かなりの都市設計がなされていたことがその様子からうかがえる

2007.04.12  観光資源に恵まれた快適な地中海リゾート

コロセウム(エル・ジェム)
広大な大地にぽつりと建つ巨大な建造物。エル・ジェム唯一の、そして最大の見どころ、コロセウム(円形闘技場)では、ローマ時代に剣士の戦い、奴隷や罪人と猛獣との戦いなど、残忍な闘技が頻繁に行なわれていた。
今はすっかり砂漠化が進んだエル・ジェムでは、このそぴえ建つコロセウムだけが
目を引く建遺物であり、周りに何もない分、なおさらその巨大さが強調されている。

2007.04.06  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

奴隷の子、巧みな話術で王から寵愛

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

イソップの寓話(ぐうわ)は、誰でもすぐにいくつか思い出せますね。そのイソップがトルコに生まれたことはご存知でしたか?

2007.04.03  砂漠に忽然と現れるペルシャ湾の豪華リゾート

ドバイワールドカップ

1995年に同国の王族で国防大臣、また世界有数のオーナーブリーダーでもあるシェイク・モハメド氏が、当時の世界最高賞金レースだったアメリカのブリーダーズカップクラシックを超える賞金の競馬の競走を設立を考案し誕生した国際レースである。
その名に相応しく世界各国の最強馬クラスの競走馬が参戦する為、アメリカのケンタッキーダービーやブリーダーズカップクラシックと並び、世界中から注目を集めるダートの世界最高峰の競走である。

同競走の出走条件はサラ系北半球産は4歳以上、南半球産は3歳以上と北半球と南半球で出走年齢が分けられている。
負担重量は南半球産の3歳馬が54.5キロ、それ以外が57キロ、牝馬は2キロ減と定められている。

総額賞金は世界最高金額の600万ドル(約6億9000万円)で、1着賞金は360万ドル(約4億1000万円)、2着賞金は120万ドル(1億4000万円)、3 着賞金は60万ドル(約6900万円)、4着賞金は30万ドル(約3500万円)、5着賞金は18万ドル(約2100万円)、6着賞金は12万ドル(約1400万円)。
また同日にはドバイミーティングと題して「ドバイカハイラクラシック」「ドバイシーマクラシック」「ドバイデューティーフリー」「ドバイゴールデンシャヒーン」「ゴドルフィンマイル」「UAEダービー」など他の国際招待レースも開催され、ドバイだけでなくアラブ首長国連邦の競馬の祭典として定着している。

 

 

2007.03.30  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

1ドル=150万リラを1.5リラに

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

貨幣単位を切り替えるデノミは、日本でも度々話題になりましたね。新札の切り替えに伴う新規需要の喚起が、景気の刺激になるとの考えなどが主として政治家から示されました。
日本ではデノミ論議が収まっていますが、

2007.03.30  砂漠に忽然と現れるペルシャ湾の豪華リゾート

ザ・パール・オブ・ザ・ガルフ
ドバイに隣接するシャルジャヘ行くツアー。半日のコースでいろいろなスークに立ち寄るので、買い物を目的にする人には最適のツアーだろう。現在、ドバイのベッドタウンになってい
るほか、経済面でも活発な動きを見せており、シャルジャに向かう途中に建ち並ぶビル群にも注目したい。まさに近代的な町へ変貌を遂げる始まりが展開している。シャルジャではキング・ファイサル・モスク、フィッュ・マーケットなどを見学後、セントラル・マーケットヘ行く。天井は半円状のドームになってお り、現代建築を存分に取り入れながら、アラベスクの装飾を施したスバンドレル(三角形の小窓)や幾何学模様の入った格子細工の透かし窓など、伝統的なイスラム建築様式が加えられている。このマーケットは香水が充実しており、自分でブレンドできる 
香水の店などもある。


2007.03.30  砂漠に忽然と現れるペルシャ湾の豪華リゾート

砂漠サファリ
4WDで砂漠を駆け巡り、砂漠のなかのキャンプでバーベキューのディナーを楽しむツアー。所要時間は半日だが、各ツアーのなかでも人気があり、エキサイティングなサファリ・ツアーを満喫できる。スタートは午後4時。サファリ走行用の4WDで滞在しているホテルまで迎えに来てくれる。どのツアーも共通していることだが、約束の時間にはきっちり来るので早めにロビーで待っていること。ドバイからメイン・ルートを東に向かい、約30分、舗装された道路から外れてラフ・ロードに入る。ここで行うのがタイヤのエア抜き。柔らかい砂地 でスタックしないため、タイヤの空気圧を調整する作業だ。
砂漠に入って最初に訪れるのがラクダの放牧場で、檻も少なく、いたる所でラクダがのんびりと寝ていたりする。かなり近くまで寄れるが、ラクダはペットではないので十分注意すること。

 

2007.03.30  砂漠に忽然と現れるペルシャ湾の豪華リゾート

ドバイ博物館
ドバイ側のオールド・スークの東側、ルーラーズ・オフィスの向かいにドバイ博物館がオープンしたのは1971年のこと。ドバイでは最も古いとされる、1761年に建てられたアル・ファヒディ・フォートは、その後シェイク・マクトウム・ピン・プティ(1833~52)の時代に増築され、現在の砦の形になった。それまで首長の住居として使われてきた砦は、先代首長シェイク・ラシッド・ビン・サイード・アル・マクトウムの命によって、ドバイの歴史や財産を保存するために改装されたのだ。暑い夏の時期に使われた風通しのいいヤシの家(ウインド・タワーも付いている)や、装飾品、真珠養殖の道具のほか、ドバイ各地で発見された紀元前5000年~8世紀の発掘品が展示されている。

2007.03.30  砂漠に忽然と現れるペルシャ湾の豪華リゾート

クリーク
ドバイの中心をゆうゆうと流れるクリークは、河口で大きく曲がりアラビア湾に流れだす。イランや東アフリカ、インドを何代にもわたって往来してきたダウ船は、大型タンカーにとって代わられた今も現役だ。ディナーショー付きの「ダウ船クルーズ」もあるが、地元の人と一緒に、アブラ (水上タクシー)を使って運河を渡ってみるのがいちばんだ。これで物足りないなら、小さなボートを借りることもできる。船着き場から、マクトウム橋まで行き、運河の入り□を回ってもどってくれぱだいたい45~60分。対照的なデイラとバール・ドバイ 両岸の風景が楽しめる。また、船着き場からインターコンチネンタル・ホテルの辺りまでは、運河沿いに公園が続いているので、行き交う船を眺めながら、ぶらぶら散歩するのもいい。

2007.03.28  シルクロードのオアシス

グリ・アミール廟
グリ・アミールとは、タジク語で"支配者の墓"という意味ティムールをはじめ、彼の息万子たちが眠る霊廟である。
青の都と呼ばれるサマルカンドでも、ひときわその青さがひきたっている壮大な建造物ではないだろうか。
もともとこの場所には、彼の孫ムハンマ.ド・スルタンが建てたメドレセとハナカがあった(中庭に基礎のみ残っている。)しかし1403年のトルコ遠征で彼は戦死してしまい、ティムールは彼を偲んで隣に廟を建設した。廟は1404年に完成するが、1年後中国遠征の途上で急死したティムール自身もここに葬られることになった。彼はかねてから生地のシャフリサーブスに葬られることを希望し、廟も造りていた.また死ぬ間際には「名を刻んだ石だけを墓標とするように」と遺言したが、権力者の悲しさか希望は両方とも実らなかった。

2007.03.28  シルクロードのオアシス

レギスタン広場
レギスタンとは"砂地"の意味。チンギス・ハーンの来襲以後、アフラシャブの丘から移動したサマルカンドの商業の中心地となった。公共の広場として機能も果たし、謁見式や閲兵、罪人や処刑なども行なわれていた。
ティムールの時代になると大きな屋根付きのバザールが造られ、孫のウルグベクの時代に最初のメドレセが建てられた。
当時は広場の西側にハナカがあり、北にはキャラバンサライ、南にはやはり荘厳なモスクがあったらしい。広場が現在の外観を得たのは、後のシャイバニ朝の支配者、ヤラングトシュ・バハドールによってさらに2つのメドレセが建てられて以来のにとだ。
ソ達時代に修復が行なわれ、時代と共に堆積した土が2m以上も取り除かれたという。

2007.03.28  シルクロードのオアシス

ブハラの町は新市街と旧市街とに分かれており、遺跡が保存されているのは旧市街だ。ホテルは今までは新市街にしかなかったが、最近、旧市街の民家を改造したペンション風のホテルができ始めたのでおもしろい。新・旧ブハラ・ホテルからだと、歩いて15分ほどで行ける。
地図を片手にどこから歩き始めてもいいが、ラビハウズ付近から始めるのがオーソドックスかも知れない。ハウズと呼ばれる池を囲んでナディールフ・ディヴァンベギ・メドレセ、ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ、クカルダシュ・メドレセがある。

2007.03.27  異邦人の体感

ハッサン国王王宮
現国王ハッサン2世とその家族が住む王宮。1864年に建てられた。白い壁に緑の屋根がひときわ鮮やかな建物。入口まで見学可能。
金曜日には祈祠のために近くのアルファ・モスクMosquee al Fasへ行く国王のパレードが行われる。

2007.03.27  異邦人の体感

ハッサンの塔
ムハンマド5世の霊廟と同じ敷地内にある未完のミナレ
ット(尖塔)。1195年にムワッヒド朝のヤーコプ・マンス
ールがモスク建設に着手したが、彼の死亡により工事は中
断。実際は高さ88mになるはずだったが、未完でも44mあ
る塔はスペイン・セビリアのヒラルダの塔(93m)、マラ
ケシュのクトゥピア(67m)に次いで、世界第3位を誇っ
ているが、残念ながら今は上れない。ムーア様式の代表的
な建築物である。

2007.03.27  異邦人の体感

ムハンマド5世の霊廟
フランスからモロッコの独立を勝ちとった前国王ムハン
マド5世の霊廟。1961年に没後、1973年に完成した。モロ
ッコの伝統的な建築技術と彫刻が美しく調和した傑作だ。
霊廟の4つの入□と廟内の4隅には、真紅の衣装をまと
った衛兵が立っている。廟内はとてもきらびやか。とくに
天井のステンドグラスのような金色のランプと白い石の棺
 が美しい。中央の石棺がムハンマド5世のもので、角の石
棺はムーレイ・アブドゥラー王子(ハッサン2世の弟で
 1983年に死去)のもの。

2007.03.27  異邦人の体感

メナラ庭園
12世紀のムワッヒド朝時代につくられた広大な庭園。中央に貯水池があり、そのまわりをオリーブの林が囲んでいる。
貯水池に面しているパビリオンは、19世紀に修復されたもので、スルタンたちのデートスポットでもあったという。
アトラス山脈を背景に、池に美しく映える。ここから見わたすと、オリーブの林が地の果てまで続くかと思われるほど、たくさん植えられている。

2007.03.27  異邦人の体感

バイヤ宮殿
大邸宅の周囲に広大な庭園をめぐらし、・豪華な個室が並んでいる。愛妾用の会議室と個室には、彩り鮮やかなタイルが張られ、アトラスシーダー材の天井には細密画が描かれている。壁や柱の彫刻もみごと、アルハンブラ宮殿に負けない芸術作品だ。奥には、広くて明るい中庭がある。周囲の建物は、4人の妃と24人の側女たちの部屋だったというが、見られるのは、息子たちが勉学したという部屋とその隣の祈り部屋だけ。左にぬけると、美しいムーア式の庭に出る。ここは、女たちだけに開放されていたという。
最後の大広間には、大理石が敷かれ、噴水のある水盤が涼しげな印象を与える。部屋を仕切るアーチの形にもムーア式、アラブ風と、いろいろな形があり、建築家のこだわりがうかがえる。
ここは時々、ハッサン2世国王が宿泊するだけあって、まさに"輝く宮殿"。ぜひ訪れてほしい。

2007.03.27  異邦人の体感

サアード朝の墳墓群
サアード朝(1554~1659年)の代々のスルタンが葬られている大廟墓群。入場料を払って帽1mほどの狭い通路から中に入る。本来はモスクのほうから入る道があったのだが、アラウィー朝のムーレイ・イスヌイルが道と墓廟を壁で囲んでしまったため、1917年に空から発見されるまで、その存在は隠されていた。
廟には3つの部屋があり、それぞれ、コーランの一節や幾何学模様の美しい装飾が施されている。

第1の部屋入ってすぐ左の'ミハラーブの間'は、ミハラーブ(メッカの方向を示す壁のくぼみ)がある礼拝堂。
第2の部屋'12円柱の間'は、3つの中でもっとも荘厳な雰囲気をもつ。目を見張るほど色鮮やかなモザイクタイルが壁面を飾り、イタリア産の12本の大理石の柱が、木や漆喰のデ
コラティブなアーチを支えている。中央の一番大きな薦が、サアード朝の黄金王アハメド・アル・マンスールの墓だ。
第3の部屋'3つのミハラーブの間'には、アル・マンスール王の子供たち、母后ララ・メッサウダをはじめ、サアード朝の王族たちの墓が安置されている。

2007.03.27  異邦人の体感

ジャマ・エル・フナ広場
夕方になると、屋台が次々とでき始め、いったいどこからわいてくるのか、ワラワラと人間が集まってくる。
そこここで大道芸が行われ、円い人だかりの輪ができる。さながらお祭りの日の興奮と賑わい。しかしこれが毎日深夜1時頃まで続く、というのだからすごい。このジャマ・エル・フナあってのマラケシュ。いやモロッコ旅行で最大のお楽しみがこの広場に詰まっているといってもいいだろう。
小腹が空いたら屋台でカバプをつまみ、お祭り気分でこの人だかりの輪"フ ナの輪めぐり"を楽しもう。宵のうちは、アクロバット芸やベルベルダンス、火吹き男、ヘビ使いなどが目立ち、その間を水売りが行き来している。夜が更けると、音楽生演奏を取り囲む輪が多くなる。新しいところでは、釣りざおのようなものでビンを捉えるゲームのようなものが流行っていた。ほかにも講釈師、ヘンナ描き、入歯売り、ガラクタ売りなどあらゆる出店がどこからともなく出現する。観光客がフナの輪に近寄るやいなや、芸人たちはすぐにチップを要求してくるのがやっかいだが、ま
あ、楽しめたらチップをはずんでも悪くない。
そもそもジャマ・エル・フナとは'死者たちの広場'を意味する。かつて公開処刑場だったというが、今では'ジャマ・エル・ファナーヌ、(芸術家たちの広場)'と呼ぱれている

2007.03.27  異邦人の体感

ウダイヤのカスパ
メディナから抜け出た広い空間にくっきりと浮かびあがる、赤茶色いカスバ。アル・ムワッヒド朝に築かれた城壁を利用して、17世紀にムーレイ・ラシッドによって建造さ
れた城塞だ。18世紀に気性の荒いウダイヤ・アフブ族の軍隊をここに駐屯させたことから、この名がついた。
カスバを囲む城壁のかつての門、ウダイヤ門Port desOudaiaは、ムワッヒド朝時代、ヤーコブ・マンスールによって建造された。ク一フィーヤという絵のようなアラビ
ア文字でコーランの字句が刻まれている。

ウダイヤ庭園
スペインにあるアルハンブラ宮殿に似たつくりで、噴水や池や草花の間に歩道があり、耳をすますと小鳥のさえすりが聞こえる。ムーア風のカフェは庭園の東側にある。蔦の下にテーブルと椅子が置かれている。

 

 

2007.03.27  異邦人の体感

ヴォルビリスの考古遺跡
モロッコに現存する最大のローマ遺跡。
イスラムー色に染まっているモロッコにおいて、違和感すら感じられるほど珍しいキリスト教世界の遺物だ。ムーレイ・イドリスの丘の麗から北西3.5km、広がる野原と畑の中にぽっかりと出現する。40ヘクタールという広大な敷地に、見事なまでに残っている遠い時代の町の光景は、イタリアやトルコ、・ギリシャの遺跡をさんざん見てきたという人にとっても、新たな感動を与えてくれるはずだ。

 

 

2007.03.27  異邦人の体感

マリーン朝の墓からの景色
メディナの北、城壁の外の小高い丘に、マリーン朝のスルタンたちが埋葬されている墓地がある。かつては、大理石の見事な墓碑が並んでいたという。今は壁の一部分が残
るだけの遺跡である。
墓地自体は遠くからでも眺められるが、時間があればここまで上ってみてほしい。ここはフェズで一番高い場所、ここからは町の全景が見下ろせるのだ。町の中にある800近くものモスクがずらりと眼下に並ぶ。この「箱庭」のようなメディナの中をゆったりとうごめくモロッコ人たちの姿が、目に浮かんできて、不思議な感慨に襲われる。