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モロッコ

2007.03.23  異邦人の体感

カサブランカは、モロッコ最大の都市であり、モロッコの商業・金融の中心地。カサブランカとは「白い家」を意味する。
紀元前10世紀にベルベル人がアンファという地域に定住したのがカサブランカの始まりだといわれている。紀元前7世紀頃にフェニキア人、紀元前15世紀頃にはローマ人と交易が行われていた。7世紀、アンファを中心とした独立国家が形成されたが、1188年にイスラムのアルモハッド朝に支配を受けることとなる。14世紀にはマリーン朝によって大規模なイスラム改宗が行われた。またその頃、港湾が大きく発達した。15世紀になってアンファは再び独立を果たした。アンファの港を拠点とする海賊船がポルトガルやスペインを襲い、1468年、それに怒ったポルトガル人によって焼き払われてしまった。

 

 

 

1515年、ポルトガル人によって町の再建が行われ、町を「Casa Blanca(白い家)」と名付けた。しかし、1755年に起こったリスボン大地震によってカサブランカは甚大な被害を受け、ポルトガル人はカサブランカを去った。カサブランカはモロッコに統合され、1770年からムハンマド3世によって町の再建工事が行われ、町は要塞化された。18世紀からはスペインと、19世紀に入るとそれに目を付けたヨーロッパの列強諸国との間で交易が始まり、主にウールの積出港として発展した。人口も急激に増大し、1830年に600人だった人口は、1868年に8000人にまで成長した。

しかし、ヨーロッパ列強に対する住民の不満は募っていた。1907年に港湾工事を行っていたヨーロッパ人労働者を住民が殺害したのを機に、暴動に発展。フランス、スペインが軍艦を派遣し、カサブランカを爆撃、フランス軍はカサブランカを占領した。1912年、モロッコはフランスと保護領条約を締結し、カサブランカはフランスの植民地となった。初代総督に就いたリヨテ将軍がカサブランカを商業の中心として整備した。第二次世界大戦中は親独のヴィシー政権の支配下にあり、連合軍の北アフリカ侵攻のときに占領された。1943年にはカサブランカ会談が開かれた。1956年にモロッコが独立し、フランスは撤退した。