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トルコ

2007.05.18  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

アジアとヨーロッパ結ぶ夢の懸け橋

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡に橋を架ける。それは、文字通りアジアとヨーロッパを結ぶ夢の懸け橋です。この難事業は、トルコ人ばかりでなく両大陸に住む人々にとって長年の懸案でした。
まず、歴史を振り返ってみます。約2500年前、ペルシャのダリウス王は大群を率いてヨーロッパに攻め込みます。その時、

王は船をアジア側からヨーロッパ側まで並べ、軍勢を渡したと伝えられます。ペルシャ軍は紀元前490年のマラトンの戦いで新興国ギリシャに敗れるのですが、王が大群を率いてボスポラス海峡を渡った事実は歴史に刻まれています。
イタリア・ルネサンス期の天才レオナルド・ダビンチもボスポラス海峡を結ぶプロジェクトを示したことがあります。彼は絵画ばかりでなく自然科学や建築にも天才を発揮したのですね。
その後、1876年にはフランス人の建築家、1902年には米国人の3人の建築家がトンネルで海峡を結ぶ案をオスマントルコ皇帝に提案します。しかし、これらはいずれも日の目を見ることはありませんでした。
38年になり、トンネルでなく橋を架けようとの話が持ち上がります。だが、第2次世界大戦の戦火が拡大するにつれていつしか懸け橋の機運が失われ、戦後を迎えることになります。
イスタンブールの人口は戦後増えつづけ、アジアとヨーロッパ側にまたがる市街地にやはり橋が必要との論議が再び高調するのは60年代に入ってからです。国を挙げての論議を経て70年、第1ボスポラス橋の工事が始まりました。この橋は英国の建築会社が受注し、3年後の73年、1560メートルの橋が完工しました。ここのアジアとヨーロッパが陸続きになったのです。その年は、ケマル・アタチュクルがトルコ共和国を建国してから50周年にあたる記念すべき年でした。