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トルコ

2007.08.03  【文明の十字路・エキゾティックな国トルコ】

アントニウスと南部の街で結婚

メルハバ!(トルコ語でこんにちは)
コックス・アンド・キングス・ジャパンでトルコの営業・手配を担当しているジェムです。

クレオパトラは、世界の歴史上で最も有名な女性ですね。シーザー、アントニウスというローマ帝国の2人の英雄と結婚したことでも知られています。英雄2人を惑わせたのだから、

あったかどうか、私自身は疑問に思っています。
そのエジプト女王クレオパトラは、トルコにも来ています。シーザー亡き後、アントニウスとクレオパトラが出会い、結婚したのが実はトルコだったのです。
歴史をひもとくとシーザーが殺害されるのは紀元前44年のこと。翌年の前43年、ローマ帝国は実力者2人によって実質的に分割統治されることになります。西を制したオクタビアヌスと東方世界を受け持ったアントニウスですね。
前41年、アントニウスはエジプトと組もうと画策します。現在のトルコ南東部タルススに居を構えていたアントニウスは、クレオパトラを招待します。クレオパトラはそれを好機ととらえて招待を受け、アレクサンドリアから豪華な船でアントニウスの元へ行くのですが、その時まるで女神のように着飾っていたといわれます。アントニウスのハートを射止めたクレオパトラは前37年、トルコ南部の街アンティオキア(現在のアンタキア)で結婚式を挙げます。
ところがアントニウスにはローマ人の妻がいました。勢力を二分するオクタビアヌスの妹オクタビアでした。アントニウスは今で言う重婚の罪を犯したのですね。このアントニウスの行為は、義兄オクタビアヌスを怒らせたばかりではありません。アントニウスとクレオパトラに対するローマ人の反感を募らせました。
アントニウスとクレオパトラの傍若無人とも思える行動が、後の2人の悲劇につながっていくのです。