旅は人生なり
魅力ある国の旅情報
ウズベキスタン
2007.03.28 シルクロードのオアシス
グリ・アミール廟
グリ・アミールとは、タジク語で"支配者の墓"という意味ティムールをはじめ、彼の息万子たちが眠る霊廟である。
青の都と呼ばれるサマルカンドでも、ひときわその青さがひきたっている壮大な建造物ではないだろうか。
もともとこの場所には、彼の孫ムハンマ.ド・スルタンが建てたメドレセとハナカがあった(中庭に基礎のみ残っている。)しかし1403年のトルコ遠征で彼は戦死してしまい、ティムールは彼を偲んで隣に廟を建設した。廟は1404年に完成するが、1年後中国遠征の途上で急死したティムール自身もここに葬られることになった。彼はかねてから生地のシャフリサーブスに葬られることを希望し、廟も造りていた.また死ぬ間際には「名を刻んだ石だけを墓標とするように」と遺言したが、権力者の悲しさか希望は両方とも実らなかった。
2007.03.28 シルクロードのオアシス
レギスタン広場
レギスタンとは"砂地"の意味。チンギス・ハーンの来襲以後、アフラシャブの丘から移動したサマルカンドの商業の中心地となった。公共の広場として機能も果たし、謁見式や閲兵、罪人や処刑なども行なわれていた。
ティムールの時代になると大きな屋根付きのバザールが造られ、孫のウルグベクの時代に最初のメドレセが建てられた。
当時は広場の西側にハナカがあり、北にはキャラバンサライ、南にはやはり荘厳なモスクがあったらしい。広場が現在の外観を得たのは、後のシャイバニ朝の支配者、ヤラングトシュ・バハドールによってさらに2つのメドレセが建てられて以来のにとだ。
ソ達時代に修復が行なわれ、時代と共に堆積した土が2m以上も取り除かれたという。
2007.03.28 シルクロードのオアシス
ブハラの町は新市街と旧市街とに分かれており、遺跡が保存されているのは旧市街だ。ホテルは今までは新市街にしかなかったが、最近、旧市街の民家を改造したペンション風のホテルができ始めたのでおもしろい。新・旧ブハラ・ホテルからだと、歩いて15分ほどで行ける。
地図を片手にどこから歩き始めてもいいが、ラビハウズ付近から始めるのがオーソドックスかも知れない。ハウズと呼ばれる池を囲んでナディールフ・ディヴァンベギ・メドレセ、ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ、クカルダシュ・メドレセがある。
2006.11.11 シルクロードのオアシス
アレキサンダー大王、ジンギス汗など様々な民族の侵攻により歴史を塗り替えられてきたウズベキスタン、14世紀にサマルカンドを首都とし、中国からトルコまでを版図としたチムール帝国が興りました。サマルカンドは新疆ウイグル地区も含んだ東西トルキスタンの中心にある、今も中央アジア諸国の中心国家です。中国とペルシャ、ローマを結ぶシルクロードの中間地点のオアシスとして栄えた時代を偲ばせる街並みやイスラム様式の芸術的な建造物、青いドームモスクやメドレセ(神学校)は私たちの目を楽しませてくれます。