旅は人生なり
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2008.01.15 第6話 ダダ・コンド・デブ
旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。
出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第6話をお届けします。
第6話 ダダ・コンド・デブ
1639年、ジジャバイとシヴァは、シャハジーの腹心ダダ・コンド・デブと忠実な召使達に伴われて、プナに帰ってきました。コンド・デブは、すぐさま、プナの統治にとりかかり、シヴァが十分な教育を受けられるよう計らいました。
生まれついての指導者コンド・デブは、国を治める力にすぐれ、はかりごとにもたけていました。近くに仕えるものは皆、コンド・デブを慕い、「ダドジー」の愛称で呼んでいました。
ムーラ川とムーサ川にはさまれたサヒャドリ丘陵の低地に、プナはありました。かつては賑やかで、栄えた国でしたが、権力を争う国々の戦の場となって、今では、人々も去り、荒れ果てていました。
ダドジーはプナを復興することにしました。
ジジャバイの希望で、まず、ガネーシャ寺院が建てられました。
なにごとも、ガネーシャ神への加護を求める祈りから始めるのが、ヒンドゥー教のならわしでしたから。
まもなく、建物が立ち並び、宮殿、庭園が作られ、人々が集まり、バザールは賑わいを取り戻しました。
シャハジー家族のために、ラルマハール宮殿が建てられました。ダドジーは、特別に立派なシャハバグ庭園を作らせて、シャハジーにささげました。
ラルマハール宮殿の基礎が築かれ始めた1640年5月16日、10歳になったシヴァは7歳のサイバイと結婚しました。シャハジーの許しを得て、結婚の儀がおこなわれたのですが、シャハジーは列席できませんでした。そこで、妻と結婚したばかりのシヴァとサイバイを、バンガロールの彼のもとに招きました。
一行がバンガロールに向かって旅立ち、ダドジーは残ってプナの復興に専念しました。
ダドジーは、シャハジーの領地を守り、その一族の世話をするだけでなく、近接するムガール帝国とアディル帝国の城砦の管理もしていました。対抗する帝国がどうしてダドジーを信頼して、城砦を任せたのでしょうか?
ダドジーの誠実さは、語り草になっています。
あるとき、ダドジーは、召使に果物がほしいと言いました。召使が差し出した果物を切り、口にいれようとして、ダドジーはたずねました。「まさか、この果物はシャハジーさまのシャハバグ庭園から採ってきたのではないだろうね。」
召使は答えました。「さようです、ダドジーさま。いけなかったでしょうか?」
「ばかもの! シャハバグ庭園は私のものではない。果物も私のものではない。私はシャハジーさまの家来にすぎないのだ。刀をもってきて、罪を犯した私の右腕を切り落としてくれ。」と、大声で命令しました。召使は許しを乞い、命令を取り消すよう嘆願しましたが、ダドジーは頑として聞き入れようとしませんでした。
知らせを聞いたジジャバイは、急いでその場に駆けつけ、必死に訴えました。「ダドジー、ここにあるものは、すべてあなたのものです。なぜなら、すべてあなたが苦労して作ったものですから。腕を切り落とすなどと言わないでください。私を悲しませるだけでなく、シャハジーも苦しめることになります。私たちとの縁を切ることになりますよ。」
それでも、ダドジーは納得しませんでした。そこで、罪の償いのあかしとして、ダドジーの衣服クルタの右袖を引きちぎってはどうかと、友人たちが提案しました。
そのようなわけで、その日から、ダドジーの着るクルタには、右袖がついていないのです。
シヴァ家族が、バンガロールにいる間、シャハジーは若い息子シヴァに実戦の経験をさせました。シャンバジとの戦いに連れて行き、実際の戦闘を学ばせました。シヴァの立派な戦いぶりを見て、シャハジーは、シヴァが歴史に残る立派な人物になると確信しました。シヴァはそこで2年を過ごし、1642年にダドジーのもとに帰って行きました。シヴァがあまり長くバンガロールにいたため、ビジャプール宮廷を怒らせたかもしれません。シャハジーは、シヴァがプナに旅立つ前に、第二夫人としてソババイをめとらせました。
シヴァは再びプナに帰ってきました。
ダドジーは、若いシヴァをヒンドゥー再興の聖戦士として、ヒンドゥーの大繁栄国家「スワラジャ」をつくる計画を練っていました。
まずは、プナの周りにある24に分割されたマワールの領地を、プナに統合することでした。
マワールの領地は、デシュムク一族のものでしたが、いつも、互いに争いあ い、略奪がたえませんでした。悪口を言い合い、アディル帝国の役人にへつらってばかりいたので、人々はうんざりしていました。
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