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旅は人生なり

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2008.01.15  第10話 シャハジー投獄

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第9話をお届けします。

第10話 シャハジー投獄

名だたる司令官たちに率いられたビジャプール軍が命を受けて出発しました。シャハジーを捕らえるのは、ヴァジエル・ムスターファ・カーンとバジ・ゴルパドの役目。シャンバジをファリド・カーンが攻め、シヴァジーはファテ・カーが討つことになりました。

  ヴァジエル・ムスターファ・カーンは策略をたてました。シャハジーに近づき、和平を申し入れたのです。シャハジーは安心して、眠ってしまいました。ところが、明け方、ムスターファとバジ・ゴルパドは、シャハジーのキャンプに急襲をかけたのです。シャハジーとその兵士たちは、不意打ちをくって捕らえられ、シャハジーは深手を負ったうえ、鎖で縛りあげられ、足枷をかけられてしまいました。 

一方、ファリド・カーンは、バンガロールの城砦にいたシンバジを攻撃したのですが、反撃にあい、退却を余儀なくされました。シヴァジーを攻めた軍隊も、同じように撃退されました。

不幸なことに、父親のシャハジーだけが敵の手中に落ちてしまったのです。

 サブハン・マンガル城砦の戦いで、ビジャプールの名武将バラジー・ハイヴァトラオが戦死。その知らせを聞いたファテ・カーンは激怒、復讐に燃え、シヴァジーの立てこもるプランデール城砦を包囲攻撃しました。戦略にたけたシヴァジーは、大きな岩石を集め、城砦の壁の上に並べました。ファテ・カーンの兵士たちが城砦めがけてなだれをうって攻めて込んで来たところを、弓矢や砲弾、銃弾さらに岩石を雨のように浴びせかけたのです。兵士たちは大混乱に陥りました。ムース・カーンは、兵士たちに戦いを続けるよう叫び、 彼自身城砦の壁をよじ登りはじめました。ちょうど、その時、城砦の門が開け放たれ、「ハー、ハー、マハデヴ」と、雄叫びを上げながらマラタ兵士が迎え撃って出てきました。

ビジャプールの兵士たちも「アッラーアクバル」と神の名を唱えながら、双方入り乱れての戦いが始まりました。ゴダジーは、ムース・カーンに挑み、2度 目に振りおろした刀で、ムースを肩から真っ二つに切り裂きました。

その有様を見て、ビジャプール兵士たちはたじろぎ、ファテ・カーンも逃げ帰 っていきました。しかし、戦の勝利も城砦攻落も、問題解決にはなりません。父親シャハジーは、いぜん囚われの身であり、拷問にあって、殺されるかもしれないのです。

そのとき、シヴァジーにすばらしい考えが浮かびました。

ムガール帝国領土の南部拡張を目指して、ムガール帝シャハジャハンが彼の息子ムラドを派遣し、南部のヒンドゥー国王たちの協力を要請してきていたのです。

ムガールは、宗教にあまり厳格でなかったため、ムスリム帝国のなかでもヒンドゥーとは近い関係にありました。シャハジャハン帝の母親ジャガト・ゴサインはヒンドゥー教徒であり、息子ジャハンギルには、ラジプトの姫たちをめとらせていました。

 シヴァジーは、ムラドに手紙を送り、父親シャハジーがムガール帝国に仕えたいと願っているが、アディル帝に囚われていると伝えました。ムラドからは、申し出を受けるとのこころよい返事が返ってきました。当時、ムガールは最強で、他の帝国から恐れられていたので、この成り行きはモハムド・シャー・アディル帝を震え上がらせました。

アディル帝はただちにシャハジーを自由にし、仲直りの会食を用意しました。

シャハジーと親しい大臣が、アディル帝に代わり、すべて誤解から起こったことだから許してほしいと頼みました。アディル帝もじきじきに敬意を表し、シャハジーにとどまって仕えてほしいといいました。

シャハジーは残ることにしました。その代わりに、息子たちは、コンダナとバンガロールの城砦をビジャプール宮廷に返すことになりました。

 シヴァジーは、コンダナを失いがっかりしていましたが、その埋め合わせに、シャハジーは、二人の戦士、カンホジーとロホカレをシヴァジーのもとに送りました。彼らは、シャハジーと共に囚われていた戦士で、すぐれた戦略家でもありました。二人はのちに真価を発揮することになります。

一方、ジャウリの王ヤシュワントラオはシヴァジーを裏切り、アディル帝の手先となっていました。シヴァジーは彼を懲らしめるため、ジャウリに攻め入り、山岳地帯にあるライリイ城砦で激しい戦いとなりました。その戦いに敗れて、命乞いするヤシュワントラオを、シヴァジーは許しました。しかし、彼は再び裏切りました。シヴァジーに逆らってビジャプールに密書を送ったのです。重ねての裏切りで、ヤシュワントラオは息子とともに処刑され、ジャウリはスワラジャに統合されることになりました。

1650年、帝国間の戦いが続きましたが、年の暮れ、モハマド・シャー・アディルがこの世を去りました。生前、アディル帝は酒に明け暮れ、遊びに興じることが多かったので、后のウリア・ジャナバが帝国を統治していました。ところが、跡継ぎがいなかったため、ウリアは侍女の息子を王座に就かせ、実権をにぎり続けることにしたのです。

北方のムガールでは、シャハジャハン帝が病の床にあって、息子たちが王権を争っていました。このように、大帝国はそれぞれ、国内の紛争で忙しかったのです。シヴァジーは、それをチャンスと、どの帝国の領有ともはっきりしていないコンカン、ゴア、カルナタカの一部、カルヤン、ビワンジ、ダーボルにまで領土を広げ、城砦を占拠していきました。

次に、シヴァジーは、腹心に信書を持たせてソノパント・ダベルト、オーラングゼブのもとに送り、征服した領土、城砦を彼のもの認めてほしいと願い出ました。オーラングゼブは、ビジャプールを攻める時にはシヴァジーに味方についてほしいと思い、その願いを認めました。

ところが、シヴァジーは、ムガール帝国の手薄な地点を攻撃し始めたのです。ジュナーアーマンドナガール城砦を襲い、武具を略奪しました。

オーラングゼブは怒り、スワラジャを叩き潰せと命令しました。強大なムガールのライオンの前で、シヴァジーはずるい狐の役をしたのです。そうしておいて、使者には、オーラングゼブの前でおびえたネズミの振りをさせ、言葉うまみに許しを乞わせました。ムガールの怒りは収まり、命令は取り消されました。オーラングゼブは、いつかシヴァジーを味方にしたいと思っていたのです。

それから十年間、シヴァジーは、機会を捉えては、ムスリム帝国といたちごっこを続け、スワラジャを広げていきました。領土は拡大し、60の城砦にスワラジャの旗が掲げられ、海岸線、港を領有してオランダ、フランス、英国、ポルトガルと海上貿易をするまでになりました。さらに、小規模な海軍も備えていました。

 スワラジャの陸軍は、十分装備され、訓練されていて、どこからの攻撃にも対決できる力を持つようになっていました。

スワラジャの領土の殆どは、ビジャプールのアディル帝国から奪い取ったものでした。シヴァジーの父親はまだアディル帝国に仕えていましたが、ピジャプールの宮廷には、もう自分には、息子たちを抑える力はないと伝えていました。帝国は思うがまま、彼らに対処すれば良いのです。

投稿者 blog担当 (17:23) | PermaLink
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