株式会社コックス・アンド・キングス・ジャパン

旅は人生なり

旅は人生なり

2010.08.30  世界遺産の海・ニューカレドニア

人生は旅なりを担当している松井です。

ニューカレドニアのラグーンが世界遺産決定!のニュースは既にコックス・アンド・キングス・ジャパンのサイトで下記のように発表されていますが、私はどうもその境界線が見えないし、どのように世界遺産の海が決定されたか、もう少し知りたいとアルファインターナショナル・ヌメア事務所の大橋さんから情報を得ましたので、皆さんにもお伝えします。国際自然保護連合等もあり、多岐に亘る調査、検証の末、世界遺産が決定される事を知りました。少し、文章が多くなりましたが、ご興味のある方は次へお進み下さい。

*ユネスコWEB SITE:
http://portal.unesco.org/en/ev.php-URL_ID=43039&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html”

対象地域は地図の黄緑色の部分です。
http://www.ifrecor.nc/projetpatrimoine/Presentation-du-projet?lang=fr”

 

発表されたサイトは: http://coxandkings.sakura.ne.jp/mt/mt.cgi?__mode=view&_type=entry&blog_id=6

2008年7月7日(月)のユネスコの会議にて、申請中でしたニューカレドニアのラグーンの60%,15,000km2という面積が正式に世界遺産に登録されました!!
(ニューカレドニアの世界最大規模を誇るラグーンは、多種様々なさんご礁、魚などの海洋生物、マングローブ等の海洋植物などで形成されており、その他、カメ、マンタ、イルカ、クジラ、ジュゴンなどの生物も多く生息しております。
又、そのラグーンは、国をあげての高い水準の自然保護の取り組みによって守られており、そのユニーク且つ絶大な美しさを現在でも保っており、オセアニアの大変重要な自然史となっております。)

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2010.07.13  ニューカレドニアの元気おばさんマダム・カルダン

 

 

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2008.12.24  12月21日午後7時、ムンバイの象徴であるタージマハールパレス・タワー営業再開!

旅は人生なりを担当している松井千枝子です。

インドボンベイのタージマハル・ホテル副社長・ミスラさんよりこんな嬉しいニュースを頂きましたのでご紹介します。(英語原文は下記に記載)

 

 

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2008.12.09  エミ・マユーリさんのインド古典舞踊【クリシュナ神と羊飼いの村】の公演に行って来ました。

コックスブログ【人生は旅なり】を担当している松井千枝子です。

12月6日(土) 快晴
眩いほどの太陽を一杯浴び,手に頂いた招待券を握って、横浜中華街近くのシルクロード舞踏館に足を運んだ。

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舞台は想像外で昔の芝居小屋を思わせ、フローリングの上に小さいが肌に優しいインド産織物の座布団が20〜30枚敷かれていた。
舞台には、ヒンドゥーの神クリシュナが祭られ、エミ・マユーリさんがクリシュナ神に祈りを捧げた後、インド古典舞踊【バラタナティヤム】の踊りが始まった。

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2008.11.28  インド ムンバイでのテロ事件を受けて

コックスブログ【人生は旅なり】を担当している松井です。

【インドへは選ばれた人だけ行ける】【行った人が好きか、嫌いかの両極端になる】と云われるインドにインドの政府から呼ばれて行ったのは34年前の1974年3月の事でした。
当時のインドは決して豊かとはいえませんでしたが、明るい子供たちの笑顔が印象的でした。
デリー〜アグラ間の車窓からは広々とした畑の上を飛び交う白鷺が舞い、道を尋ねるわたしにの周りには、世話好きなインド人が夫々違う方向を指差し対応してくれました。

  古い歴史、伝統、文化、人種、言語、宗教全てが混ざり合ったカオスの世界に優しい温かさが溢れていました。この時の旅はインド政府の招待で参りましたが、それ以降インドと係わり、豊富な観光資源を持ちながら、観光面では開発されていなかったインドに日本客に向けてその魅力を発信すると同時に、日印経済委員会のメンバーとして合同会議に出席するなど、私の人生の中で何回インドを訪れた事でしょうか?
2007年8月には元安倍総理と共に日本経団連の一員としてインドを訪問した事もありました。
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  2008年11月27日未明商都・ムンバイがテロ発生の拠点になった事を非常に残念で涙を抑える事が出来ませんでした。
今年10月にインドよりシン首相が来日され,昼食会にも参加させていただく機会があった。日本の財界、経済界、民間など日印関係が益々活発になって来た矢先の出来事でした。

この悲しい出来事は生涯忘れえぬ事件の一つではありますが、コックス・アンド・キングス・の英国、や日本から訪問されている当社扱いのお客様がこの事件に巻き込まれる事無く、皆様お元気であることが確認されました。また、いんどコックスの社員や家族も安全であり、【この痛みや困難を共に乗りきって行こう!】と誓い合い、日本、英国、インドの相互のより強い絆が確認されたことは一つの救いでした。

この事件で亡くなられた方や被害に会われた方にお悔やみ・お見舞い申し上げますとともにまだ刻々と情報が届けられている最中ではありますが、インドの皆さんの生活が一日も早く元に戻りますようにお祈りしています。

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2008.01.25  第11話 アフザル・カーンの挑戦

ITが牽引する経済の話題が、豊富に、取り上げられていますが、まだまだ昔のボンベイ、今のが「チャトラバッテリー・シバジー空港」であることは、して、あまり知られていません。チャトラバッテリー・シバジーのお話が、16話まで続きますが、今日は11話をお届けします。
当時のインドは日本の戦乱時代に近いのでしょうが、権謀術数の時代でした。アディル帝国の鬼武将アフザル・カーンは、バンガロール近くの戦場で、シャハジーの上の息子シャンバジを、策略を弄して討ち取りました。

今や、アディル帝国にとって、その領土を侵すシヴァジーは、どうあっても討たねばなりません。そのため、ビジャプール宮廷の全司令官が集まり、会議が開かれました。帝国の威信がかかっているのです。シヴァジー討伐のため、大がかりな軍隊が投入されることになりました。誰がその指揮をとるのか?

  

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2008.01.25  お世話になった方が逝去されました

お世話になった方が昨年暮れに逝去されました。悲しい事ですが、私の人生にとって忘れられない方デシタ。行き違いで賀状を出してしまいましたので、ご主人様に「寒中お見舞」を出し個人を偲びました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は、今年初めての雪景色、寒中お見舞い申しあげます。

昨年頂いた「倫子様ご逝去のご通知」の葉書が、郵便配達人の手違いで、他人の郵便箱に投函され、入手した時はすでに賀状を出した後でした。

どんなにお寂しいお正月のをお迎えに、なられた事でございましょう。

いつも、にこにことして、優しい奥様の事を思い出しながら、古い古い写真を見つけました。1974年のハワイ旅行の写真ですので、もう34年も、経ってしまったのですね。

今でも優しく、天国から、微笑みを与えて下さっているようなそんな気がいたします。

私も「さようなら」をした時、誰かが思い出してくれるような人間になるよう努力したいと思っております。

お悔みを申しあげ、奥様のご冥福を心から、お祈り申しあげます。

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2008.01.15  第10話 シャハジー投獄

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第9話をお届けします。

第10話 シャハジー投獄

名だたる司令官たちに率いられたビジャプール軍が命を受けて出発しました。シャハジーを捕らえるのは、ヴァジエル・ムスターファ・カーンとバジ・ゴルパドの役目。シャンバジをファリド・カーンが攻め、シヴァジーはファテ・カーが討つことになりました。

  ヴァジエル・ムスターファ・カーンは策略をたてました。シャハジーに近づき、和平を申し入れたのです。シャハジーは安心して、眠ってしまいました。ところが、明け方、ムスターファとバジ・ゴルパドは、シャハジーのキャンプに急襲をかけたのです。シャハジーとその兵士たちは、不意打ちをくって捕らえられ、シャハジーは深手を負ったうえ、鎖で縛りあげられ、足枷をかけられてしまいました。 

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2008.01.15  第9話 ジャウリの出来事

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第9話をお届けします。

第9話 ジャウリの出来事

 プナの近くに、ジャウリの国がありました。国主ダウラト・ラオモアが死んだのですが、跡継ぎがいなかったので、親族間で争いが起こりました。残された妻ラニは、シヴァジーに手紙を送り、醜い争いを治め、治安を取り戻してくれるよう頼みました。

 シヴァジーは、すぐさま、軍隊を引き連れてジャウリに乗り込み、争いを鎮圧しました。シヴァジーがラニの養子になり、ラニの希望によりヤシュワントラオが、ジャウリの国王になりました。その見返りに、ジャウリはスワラジャに忠誠を誓いました。

シヴァジーの人気は、ますます高まっていきました。

 しかし、シヴァジーがジャウリに出向いている間に、ダドジーが死んでしまいました。シヴァジーにとって大きな打撃でした。もはや相談相手もなく、独力でスワラジャ建国を進めなくてはなりません。  

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2008.01.15  第8話 戦い始まる

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第8話をお届けします。

第8話 戦い始まる

シヴァジーは若い兵士たちを率いて、近くのアディル帝国のトーラン城砦を攻撃しました。城砦を守る兵士の数はすくなく、たやすく攻め落とすことが出来ました。

城砦を修理している時、財宝が発見されました。スワラジャ建国には、莫大なお金がいるので、シヴァジーにとって大変幸運なことでした。早速、その財宝で、構築途中のラジガール城砦を完成させました。

スワラジャ軍は、カンワリガールをはじめ、次々と城砦を攻め落とし、スワラジャをあらわすサフランの濃い黄色の旗を掲げていきました。

 

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2008.01.15  第7話 スワラジャ建国へ

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第7話をお届けします。

第7話 スワラジャ建国へ

ダドジーとシヴァジーは、反ムスリム(イスラム教)のデシュムク領主たちに、スワラジャ建国の話を持ちかけました。領主たちは、その話にたいそう乗り気になりました。それぞれの領地にもどっていって、スワラジャ建国計画を伝えますと、人々も大賛成でした。

ヒンドゥー教の人々は、異教ムスリムの侵入者たちに領地や文化を侵略され、腹を立てていました。寺をこわされたり、大切な牛を殺されたり、女たちをさらわれたりして苦しんでいたのです。帝国のムスリム役人の悪行も、人々を苦しめていました。スワラジャが出来れば、皆が平和に暮らせると考えました。

人々は、スワラジャ建国を目指すシヴァジーに直接会いたいと願いました。シヴァジーがどのような人物か、自分たちの指導者としてふさわしいかどうか、どこまで戦えるかを見極めたかったのです。そこで、シヴァジーは出かけて行き、たちまち人々の心をとらえてしまいました。

ダドジーは、シヴァに人の心をつかむ術を身に付けさせていたのです。

シヴァジーがまだ7歳か8歳のころから、プナの村々の巡回に連れて行って、村人に会わせました。村人たちに問題があれば、シヴァにその解決方法を考えさせました。そうやって、シヴァが立派な指導者になるよう教育したのでした。

 

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2008.01.15  第6話 ダダ・コンド・デブ

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第6話をお届けします。

第6話 ダダ・コンド・デブ

1639年、ジジャバイとシヴァは、シャハジーの腹心ダダ・コンド・デブと忠実な召使達に伴われて、プナに帰ってきました。コンド・デブは、すぐさま、プナの統治にとりかかり、シヴァが十分な教育を受けられるよう計らいました。

生まれついての指導者コンド・デブは、国を治める力にすぐれ、はかりごとにもたけていました。近くに仕えるものは皆、コンド・デブを慕い、「ダドジー」の愛称で呼んでいました。

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2007.08.15  1945年夏 私の8月15日

当時、私は貝塚市立東国民学校の5年生。

 

戦火は益々激しくなり、日に幾度も「空襲警報」が鳴るし、警報
が鳴ると、慌てて集団下校し、帰る途中で「警報」が「解除」にな
ると再び学校に引き返すと云う日々にあって、およそ勉強など
手に付かない状態にあった。


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2007.06.05  第5話 ビジャプールでのハプニング

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第5話をお届けします。

第5話
ビジャプールでのハプニング

シバは動じませんでした。驚いたシャハジーの友人たちがこの息子のところへ走りより、無理に礼をさせようとしましたが、出来ませんでした。シバは未だ、じ~と皇帝を見つめていました。

皇帝は渋い顔をしていました。瞬間法廷はし~んと静まり返りました。あちこちで"一体どう言う事!、駄目な子ね、などという囁きが聞こえました。誰かが言いました"

シャハジーの顔色が変わり王様に向かって誤りました。「王室の仕来たりを知識のない息子どうぞお許しください。」




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2007.05.11  第4話 変わる忠誠心

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第4話をお届けします。

第4話
変わる忠誠心 

  シャージャハンがアグラから帰った後、そこで 起こったすべての恐ろしい戦争という殺しを経験したにも関わらずシャージャーハンは また ニザムに 仕えることになった。 しかしすぐ 彼は ニザムが間抜けで馬鹿な 王様であることを知り、信頼できなくなっていました。
そこで、彼はビジャプールに行き、アディルの軍隊はプナを破壊したにもかかわらず、アディル皇帝に仕えることになりました。 シャハジーは、アディル皇帝がマラタ王国の立派なそして、統率力のあり、技術のある人間だと知っていたからです。
それほど17世紀は、敵も味方も永久的には続かない時代だったのです。そして、誰に仕え、信じてよいのか分からない時代だったのです。
シャハジーが最も信頼できるのは、ダダコンダ デブで、彼はムガール王国の城の管理をまかされていました。しかし、また、一方でニザムにも仕えていました。インドに於けるこのような混乱が後になって英国に支配されるような原因となったのです。
こんな色々な失敗にもかかわらず、アディルはずる賢い王様でしたから、シャハジーに カルナタカ知事を任命しました。そのころ、この地域には中小のヒンドゥ王国があり、それら、中小の王国の支配者たちは、シャハジーに友好的で、結果として、この地域すべては、ビジャプルの言う事を聞くと云う事を知っていたからです。
ジジャバイは、戦争のために家に帰らない夫の助けなしで若いシヴァを育てていました。 でも義理のお父さんが近くに居てくれる事は、本当に大きな支援でした。
 ジヤバイは昔のインドの深い伝統的な文化や神話、そして宗教物語についてよく話をしました。
母とヴェットジーは子供のシヴァに、将来的には、彼が、すべてを征服する戦士なることが義務づけられている事も話し、彼の誕生はヒンドゥの精神を回復するために生まれて来たのだと打ち明けてしまいました。

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2007.04.11  第3話 キチガイじみた戦争という名の皇帝ゲーム

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第3話をお届けします。

第3話
キチガイじみた戦争という名の皇帝ゲーム

シヴァジーの父と母の兄弟は違う皇帝に仕えていて、お互いに、戦争をしていました。
父は当時ムガール帝国に代わってインドを支配していたニザム皇帝に仕えていました。
ある日、ニザム皇帝は父母の親族を法廷に呼び、そこで、義父(シバジーの母の父)を殺害しました。その場に居ながら何も出来ない自分を惨めに思い、ニザム皇帝に仕えている屈辱を味わい、ショックを受けたシヴァジーの父は もはや、この皇帝に仕えることが出来ないと、軍の仕事をやめ、故郷ビジャプールに向かいました。
当時、その地区の支配していたモハマド・シャー・アディル帝は、シヴァジーの父・シャハジーがプーナに戻って来る事を良いとはしてはいませんでしたので、嫌がらせを受けました。

それらを予期していた彼は、管理下にあったシブネリ城砦に、親族のビジャイラオとヴィトージと信頼していた司令官だったダダ・コンド・デブに妊娠中の妻を託した。

 

 

 

 

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2007.04.02  第2話 ヒンドゥの苦しみ、悲しみ

旅は人生なりを担当するコックス・アンド・キングスの松井です。

出版社のお許しを頂いたので、私なりの解釈ですが、インドの一空港や、駅名を変えた【チャトラパティ・シヴァジー】さんについての第2話をお届けします。

 

第2話

ヒンドゥの苦しみ、悲しみ

南に弱くて小さなヒンドウの王国があり,いつも近隣の小国間の 争いは絶えなく,肉親間でさえ,闘争のひびが続いていました。実際、 その頃のヒンドウの王国等と言うものは,とても惨めで、彼らの宗教、文化,生活、プライド、栄誉などの全てが外国人の侵略者によって踏み にじられていました。従って、彼らの自尊心などはなくなり,希望の欠けらさえも持てなくなっていたのです。

ヒンドウの王国に人々は,ムスリムの皇帝に仕え、ムスリムの軍隊に入り,仕事をしていたのです。辱めを受けた状態で,同じヒンドウの王国の同族であ りながら,違った 皇帝に仕え、同民族の士でありながら、敵の兵隊として働かされていたものですから、シャハジーの兄弟は彼の妻・ジジャバイの兄弟に殺されたのです。

丁度、日米戦争時代の日系人兄弟のように兄弟であり,親族でありながら,向き合って戦った歴史も日本に残っています。
ヒンドウの女性はこの悲劇にじっと堪えていました。黙っていることを強いられました。その頃は,自分の親族や兄弟や息子が争うほど入り乱れていたものですから、どの皇帝が勝って欲しいかも分らない状態でした。
シヴァージの妻、ジジャバイはの悲しみや苦しみは深く、この苦しみを見ていた義父は、よく自分の義理の娘に慰めの言葉をかけていました。

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2007.03.27  第1話 シヴァジの父のお父さん

ナマステ!「旅は人生なり」を担当している松井です。

マハラシュトラ州http://ja.wikipedia.org/wiki/マハラシュトラ州

ムンバイ(ボンベイ)は空港も中央駅もシヴァジと言う人の名前に改名されていて居て,興味があり本屋さん(Book store)立ち寄った まではお知らせしまして、本の内容を少しずつ読んで頂こうと思っていて,本を読み出しましたら

さあ!大変ほんの中に著作権の事が書かれていたので早速デリーの出版社Manoj PublicationsのMr.Sawan Guputa氏(ディレクター)に電話にてイラストを使わせて頂く事の許可を貰いました。この出版社では,歴史上の人物などの本を沢山出版しているそうですから、また、どんな本を出しているか聞いてみます。
さて、チャトラパティ・シバジーさんのお話,第1話に入ります。

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2007.03.09  コックス・インド(ムンバイ)本社紹介

旅は人生なりを担当する松井です。ナマステ!

最近では、お茶の間で、インドの映像、映画、ニュースを目にすることが増えてきました。

私がこのコックスの事務所を立ち上げた時には、本屋に行っても欲しい情報がなく、その情報収集のために30回以上もインド国内を飛び回ったものでした。

長い間、インドは動かない巨象だと言われ、変わることが期待されていなかったのですが、近年ITの発達により「ITがインドを変えた」の印象があり、中間富裕層も増えており、11億の人口の凄まじい消費能力を有する巨大市場が外国からの投資が増え、その発展と開発のスピードの速さが顕著に感じられた今回のインド訪問でした。

 

 総勢500人位のスタッフが忙しそうに働いていた。以前とかなり違う活気が感じられた。
コックス・アンド・キングス・ジャパンはDr. N Road から大きなビルに移転した
Cox & Kings (I) Pvt. Ltd

Turner Morrison Building  16,Bank St.,Fort,Mumbai

Tel: 022-220-9100

また空港近くにコックス・アンド・キングスの子会社である。Ezeego1という会社があり、インターネットによる予約を今年1月から開始し、月約6~7百万円の売り上げをしているという。同ビルにコールセンターがあり、24時間体制で旅行の申し込みを受けているそうです。 是非アクセスして下さい。ezeego1サイト

Ezeego one travels and tours private limited
51/5b rushabh chambers, marol makwana road, off andheri kuria road, andheri (e) Mumbai
Tel: 91-22-2852 9309

 

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2007.03.08  ムンバイ(ボンベイ)の空港や駅の名前が変わっています

旅は人生なりを担当している松井です。

今日はナマステ!インドはムンバイからの情報です。

 

ムンバイ(ボンベイ)は空港も中央駅もこの人の名前に改名されています!!

ムンバイ(ボンベイ)の空港の駅の名前がサハール空港→チャトラパティ・シバジー空港に!

ムンバイ(ボンベイ)の中央駅の名前がヴィクトリア・ターミナス→チャトラパティ・シバジー・ターミナスに!

 

2004年7月に【世界遺産に登録された】美しいチャトラパティ・シバジー・ターミナス。
この駅から豪華列車(食堂車・会議室・ジム・アーユルヴェーダ・マッサージ室付)「デカンオデッセイ号」が出発いたします。

 

 

 

 
「デカンオデッセイ」については少しずつご紹介をしていきたいと思います。

  これほどまでに長く続いていたヴィクトリア駅名が変更させた「チャトラパティ」さんとは一体どんな人なのでしょうか?
この興味ある「チャトラパティ」さんに関する本屋を見つけましたので次におしらせいたします。

インド史より抜粋(ヴァージーの史略)

1600   イギリス東インド会社設立

1602   オランダ東インド会社設立

1627   シヴァージー、ボンスラー家に生まれる

1646   シヴァージー(マラータ),トルナの要塞をとる

1664   シヴァージー、アウランゼーブの占領下・スラトを攻略

1664   フランス、スラトに商館を設置

1674   シヴァージー、チラパティと称し、マラータ帝国成立

1677   シヴァージーカーナティック地方に遠征

1680   シヴァージー死ぬ

興味のある方は楽しみにしていてください

 

 

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2007.02.09  ニューカレドニアAlpha人気がある運転手さん!!

旅は人生なりのブログを担当している松井です。

今日は日本人に、人気がある運転手さんを御紹介しましょう・・・。

 

名前:アラン

年齢:40歳。

母:メラネシア人(カナラ)

父:フランス人

子供:4歳半の男の子

2歳  女の子

好きな食べ物:生カキ

好きな言葉:ボンジュール

運転前に気をつけていること?

安全:スピードを出さない

 

 

名前:フランソワーズ

年齢:41歳

母:バヌアツ (ポートヴィラ)

父:バヌアツ

子供:18歳の男の子

16歳の女の子

好きな食べ物:子牛の肉

好きな言葉:コモサバ

安全:イメージを大切にメラネシアの伝統の服を着る

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2007.02.08  つまずいたおかげで

『つまずいたり ころんだり したおかげで

物事を深く考えるようになりました。

 

あやまちや失敗をくり返したおかげで

少しずつだが

人のやることを 暖かい目で、

見られるようになりました。

 

何回も追いつめられたおかげで

人間としての 自分の弱さと だらしなさを

いやというほど知りました。

 

だまされたり 裏切られたり したおかげで

馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました

そして・・・・

身近な人の死に逢うたびに

人の命のはかなさと

いま ここに

生きていることの尊さを

骨身にしみて 味わいました。

 

人の命の尊さを

骨身にしみて 味わったおかげで

人の命を 本当に大切にする

ほんものの人間に 裸で逢うことができました。

 

一人のほんものの人間に、

めぐり逢えたおかげで

それが、縁となり

次々に、沢山の良い人達に、

めぐり逢うことができました。

 

だから わたしの まわりにいる人たちは、

みんな よい人ばかりなのです』

 
この詩は・・・

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2007.01.12  2007年!私と旅行業50年の歩み

旅は人生なりのブログを担当している海外旅行の手配はコックス・アンド・キングス・ジャパンの松井です。2007年の幕開けです。近頃の旅行業は大きく様変わりしました。

私がこの業界に入ったのは、昭和31年、英語の先生になりたかったのですが、とあることからから、神戸の旅行社に入りました。

当時はお客様を運ぶのは、主に3万トン位の客船で、神戸港から船で出航するお客様のお世話をしたものでした。

余り、自慢になる経歴ではありませんが、関西空港開港までの38年間の旅行業を振り返ってみました。この間の思い出や旅物語や旅行業との係わり徐々に投稿していこうと思っています。

興味を持たれましたら、続きを読んでください。  続く⇒

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2006.12.06  12月5日の夕刊に、「どこでも、電源シート」

 12月5日の夕刊に、「どこでも、電源シート」という見出しがめに飛び込んできた。
"シートの上に、クリスマスツリーを置くと、発光ダイオードが光りだした"と書いてあった。東京大学の桜井貴康教授は、「将来は床や壁、天井に張り、どこでも電子機器が使えるようにしたい」という。
この記事を読んでいて、今は、亡き母の「孫たちと」、という詩の中に"未来"という詩があったことを思い出し、古い亡母の詩集から"未来をご紹介します。
未来は、光る壁になるから、電灯なんかいらなくなるんだと、たかずみが言った。
そんな時まで、生きていられるかしら
そうだ!わたしの未来は、光る壁の中に住もうよ
光る壁の中から、おまえを見守っていよう。

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2006.11.21  『旅は人生なり』の由来

『旅は人生なり』の由来  今から丁度50年前昭和31年(1956年)に旅行業界に就職しました。 昭和31年(1978年)ころの旅行は団体旅行が多く、よく、曹洞宗総持寺の計画される団体の企画・手配・添乗員役を果たしてきました。 身体が小さく、忙しそうに動き回る私の姿は『旅そのものが人生』だと話され、 当時の大本山総持寺の管主の渡辺玄宗老師が『旅は人生なり』の書を下さった。 ここから本格的に仕事の旅と向き合うようになった。 数年後、その書を表装を施し自宅に掛けていたが、日当たりが良すぎて仕舞った場所が 分からない。 こんど探し出したら、是非ご覧下さい。

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2006.10.25  職場の人間関係の適正

秋の季節となりました。会社は新入社員を迎えるに当たって、期待を膨らませているシーズンです。

"社員は会社の財産である"とよく言われますが、旅行産業にとっては社員だけが財産であるといっても言い過ぎではありません。

ですから、人の採用にあたっては、いつもたいへん気を遣います。たとえば、営業社員を採用するとき、その人に営業的手腕、能力があるか、そのような適性を持っているかどうかはもちろん重要なことですが、このことを第一に選ぶと、腕は確かに良いけれど、社内での人間関係がちょっと・・・・ということになりかねません。

わが社の人間関係への適性や、円滑さ、親密さを計るため私の材料の一つに、「エゴグラム」を採用して、役立たせてています。

私の使っているエゴグラムは、一種のアンケートのようなもので、50ほどの質問からできていて、応募者に、「はい」、「いいえ」、「どちらともつかない」と記入してもらいます。

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1960.10.26  私の初添乗 「香港の泣きどころ」に              泣いた私

『旅は人生なり』のブログを担当する
コックス・アンド・キングス・ジャパンの松井です。
今日は私の初添乗「香港の泣きどころ」に泣いた私を
お読み頂ければ幸甚です。

香港が英国から中国に返還されて、10年を迎える。

私が最初に香港を訪れたのが昭和40年(1965年)10月だから、
はや41年経った。当時もいまも自由貿易港としての地位を
維持している。

バブル景気に沸いた返還時の活況は、今どうなっているの
だろうか?

中国ではいま、上海などを中心にした経済発展が目覚ましい。
そうした中、観光客があこがれた香港が、今でも「東洋の真珠」と
呼ばれた輝きを守っていけるのだろうか。

今、私の仕事とは直接に関係していないが、"美味を求め"
"おしゃれを求め"香港を旅してみたいと考えている昨今である。
それにつけても香港の初添乗の思い出はいつまでも、消えない。

  集合写真.JPG


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